ドラえもん

最近、田口ランディという人の本を読んだのだが、ドラえもんを子どもに見せるのはイヤみたいなことを書いていた。
ドラえもんって夢があるとかそういう印象で見ている人が多いと思うのだけれど、なんでもかんでもドラえもんに泣きつくのびた君的構図が子どもに見せるのはよくないのでは?みたいなことらしい。
今まであまり考えたこともなかったのだけれど、言われてみればそうかもと思った。
のびた君の失敗をしょうがないなあで済ませるドラえもんが30年間も日本のお茶の間を独占してきたのだと思うとちょっと異様な感じがしないでもない。
自分はあまりドラえもんを見ない派だった(ドラえもんのアニメ本が1冊だけ家にあり、その中のお母さんが恐かったので見なくなったような記憶あり)のだけれど、漫画ドラえもんの主眼はのびた君のダメさにあるのではなく、ドラえもんのすごさを際立てることにあるのであって、そのためにはのびた君のダメさは必要なのだ。だからきっと子どもはのびた君のダメさを反面教師として生きるのであって、のびた君になる子どもはいなかったような気がする。
そんなことを考えた電車の中。