「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI(UTMF)」なんとか完走記

先週行われました「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI」。本来ならば昨年に第一回大会が行われるはずだったのですが、震災のため延期となり、そして追加募集に応募したところ当選。昨年だったら骨折もしてて走れもしない時期だっただけに、ラッキーなので参加してきました。
といってもそう簡単にはいかない100マイル(今年のレースは156km)。12月に満を持して骨折のプレートとボルトを抜き、冬の間はじっとトレーニングの予定が・・・。ま、予定は崩れるものです。意外に回復が遅れ、さらに長男の誕生。正直子供がかわいすぎてトレーニングどころじゃない(笑)。体重も全く減らず、結局まともに練習ができないまま4月に突入。4月に急ピッチで練習し、4月末の山田記念ハーフではタイムは1時間28分とまあまあだったものの、これは余裕がないがため必要以上に頑張った結果。脚があったかどうかは自分自身が一番よくわかっているので・・・。案の定そのまま脚の張りがひけなくなり、走るとすぐに左膝が痛む状況。結局5月はほとんど走れずに大会に行くことになりました。


そして迎えたUTMF。
河口湖のスタートに立ったときはなんとかここまでこれたという安心感と、48時間も制限があるという状況で、やたらリラックス。秋田から2人だけの参加となった船木さんとのんびりスタートを待ちました。
そして15時、セレモニーの中、UTMFの部(距離156km、累積標高差8530m)がスタート!

鏑木さんと三浦雄一郎さんが見送ります(鏑木さん、ぜんぜん挨拶できませんでした。ゴールも会えなかったので、これはまた来年!え、来年も出るの?)。写真ゆっくり撮ってたら、船木さんをあっさり見失いました(笑)。


スタート後は富士山をバックに沿道の声援を受けてゆっくり走っていきます。すぐに林道に突入し、7〜800mほどの標高差を越えて、第一エイドへ。第一エイド直前でどうも左膝が怪しい。痛めていた左膝痛の再発です。まさかこんなに早く痛くなるとは予想外で、正直エイドどころではない状態で第一エイドでストレッチをしてました。
頭の中では「リタイアか?」「とりあえず時間切れまでレースか?」「この膝で山を下れるか?」というネガティブな思考で占められ、トイレに並ぶことも忘れたままエイドを出発。見ることは無いだろうと思っていた各エイドごとの最終走者到達予想時間のみを頭に叩き込みました。
冷静さを装って撮った第一エイド。


リスタート後、やはり走れず。とりあえず歩く分には痛みはないことから、行けるところまで歩こうと、関門制限ギリギリで中間のドロップバッグ預けまで行けばストックがある、そう考えて残り138kmを歩き続ける決意をしました。どう考えても長すぎる。40時間は超えそうだなあと思って気が遠くなるばかり。
考えてもみなかった状況でしたが、歩き続けると新たな発見がありました。まず登りは歩き続けてペース維持したほうが断然速いということ。平地と下りで追い抜かれても、登りで追いつき追い越すといったことを延々と繰り返しました。100km過ぎの天子山地で完全に脚が終わるまではこの状況がずっと続きました。早歩きってペースも一定だし、心肺にも筋肉にも負荷がかなり少ないものです。初めての100マイルで、その真髄を知りました。すごい。調子がマックスだった第4エイドの須走から第5エイドの富士山五合目の御殿場太郎坊のあたりでは、早歩きでランナーを千切ってました。ま、ここで調子に乗りすぎたので後半失速してるんですけど・・・。まったく後悔はありませんが。早歩きで次々とランナーを千切っていく快感といったら!病み付きになります。
歩く発見その2は、歩くと心拍が120前後に固定されるので、疲労が回復し続けるということ。脚筋自体は疲労していくんでしょうが、体力的には回復していくので、補給を摂ればどんどん力が湧いてくる状況になってました。ちょっとビックリでした。


いろんなエイドがありましたが、裾野市の第6エイド水ヶ塚公園のアンパンは超美味でした!富士山もくっきりで、本当に癒されました。ここのアンパン美味すぎて忘れられないので、調べてみました。たぶんこれです。
http://www.susonocity.or.jp/05susonobrand/index.html
すそのブランド「すそのボーイズ(あんぱんトリオ)」。通販とか出来るものなら、定期的に取り寄せたいくらいですね!それくらい美味しかった。今度電話してみます!

ちなみにこの前の第5エイド富士山五合目の太郎坊でのカップラーメンも最高でした。もらったおにぎりをカップラーメンの中に入れて食べた味と温かさは忘れられません。その後身体が一気に冷えて震えが止まらなくなり、ダウンを着て歩きましたが(笑)。というわけで上の写真、ダウン着てます・・・。


そんなこんなでエイドごとに食事を満喫し、中間の富士山こどもの国に到着。静岡茶をこれでもか!とご馳走になり(おかげで途中トイレに悩まされることに)、ビール飲みたいと話しながら満を持してストック投入。晴れ渡る空の下、ノルディックウォーキングのような林道ウォークが続きました。そして途中から延々と続く送電線点検路・・・。気が遠くなりました。

さらにはSTYの部(83km)の選手たちに道を譲り続けます。ペースが違うのは仕方ないとしても、これは次回以降の課題なのかなと、いろんな選手の方と話しました。レース中はSTYが先にスタートすれば重ならないんじゃないかと思っていたけれど、おそらくそうなるとSTYの選手にUTMFのトップが追いついて、同じ状況になってしまう。そうなるとゴール制限時間の遅いUTMFが我慢するほうが合理的かも、と今は思います。いずれにせよシングルトラックでレースをするとなると、仕方ないことなのかもしれません。STYの選手にはかなり励まされましたし、トップの走りを見られたのは嬉しかったですね。


脚もそろそろ売り切れ、気力も最低な感じで西富士中学校のエイドに到着。ここでカイロプラクティックをやってもらいました。そしてその瞬間寝てました。そろそろ24時間だったので仕方がないところでしょうか。気持ちよかったです。
これから始まる天子山地の厳しさにビビりながら、重い足取りでエイドをスタート。
から元気のまま、撮ってもらった一枚。

笑顔が引きつってます(笑)。次のエイドまでの27kmで4000m近い累積標高を超える最難関区間である天子山地。その途中に500mlの水が支給されるのみ(これもすごいことです、歩荷で荷上げしてるんです)。10時間くらいかかるかなあと思いながら、登りをハイペースで歩き続ける。勾配がかなりきつめで、ちょっとペース配分誤ったかと思ったときはもはやキツキツの状況。登っても登っても終わらないし、ピークを越えるたびに同じ急斜面の下りが待ち受けている。そんなことを何度繰り返したのか・・・。途中で地図を拡げながら、周りの参加者の方とその果てしなさに途方にくれます。
正直まともな平坦な部分がほとんどない・・・(ような記憶)。小雨が降ってきて、視界も悪化。気温も徐々に低くなって、立ち止まって横になると震えで動けなくなる。レインウェアで完全に上半身をガードして、集中力を切らさないように一歩一歩とにかく前へ。
このあたりの延々と続いた状況がすさまじかった・・・。
登りでは次々と参加者が脇の笹ヤブに倒れこみ、平坦な部分があるとサバイバルシートに身を包んだ人が横になり、最初は倒れている人がいれば声をかけていたものの、次第に倒れ込んでいるのが普通の光景になっていく。脚に血が回り、横になって脚を伸ばして数分の脚休めと瞬間の睡眠。これを何度か繰り返しました。下りでは一歩でも滑ると落ちてしまう人がいるんじゃないかと思うくらいの急斜面。雨ヶ岳の下りの状況が本当に悪かった。800mほど垂直に下る道がほぼ泥沼状態。降りた後にこの斜面を眺めると、参加者のヘッドランプでロープウェーのようになってました。それだけ垂直な登山道だったことが分かります。この山の中で撮ったピーク地点の写真。

この辺りから左足首が痛くなり、おそらくどこかで捻ったんだろうなと思いながら、少しずつひどくなる痛みに耐えながら必死に歩を進めました。本栖湖がようやく意識できるようになった最後の下り。STYの方々に後押しされながら、100kmぶりのラン。思ったよりもハイペースで下り続け、意外に行けるじゃんと思い始めたが足首の痛みに耐え切れずギブアップ。しかし気持ち良かった瞬間でした。演出してくれたSTYの皆さんありがとうございました。
また、途中で何度も抜きつ抜かれつを繰り返した、STYの女性の方。何度も声をかけてくれてありがとうございました。試走情報のおかげでなんとか本栖湖まで着けたと思います。本栖湖で1時間半くらい寝てましたので、ゴールではお見かけできませんでしたが、本当に励みになりました。


そしてこの天子山地、12時間近くかかってようやくクリア。本栖湖のエイドのついた時点で仮眠を取ることは決めていました。本栖湖は夢のようなエイド。鹿カレーとのっけ丼で空腹を満たし、クリームパンとチョコパンを食べまくりました。エイドの奥の休憩所は満杯で、廊下の空き場所のストーブの前の空間に倒れるように横になりました。30分くらいの予定が、1時間半ほど寝てしまい、危なかった〜と思いながら、いそいそと準備。この頃には胃腸もかなり弱っていて、常に消化できない状態。仮眠した後のトイレでもスッキリできず。足首を無理やりキネシオテープで仮固定し、足回りのテーピングとマメ対策を再度施して、STYの制限時間が叫ばれている中でエイドをあとにしました。


すっかり明るくなった中で、遅いペースでダラダラと歩き(この辺りが一番だれていた)、青木が原樹海をゆっくりと歩きました。樹海の説明文をわざわざ立ち止まって読んでいたのは、たぶん自分だけかも・・・。
そのあとのきついロード区間をただただ歩き、最後の小エイド(鳴沢氷穴)に着く直前、STYの関門時間と重なりました。おかげでちょっとテンションもアップ。エイドでSTYの最後のランナーを見送り、自分はマッサージを受けてました(笑)。このマッサージ効きました。ここからの14km、このマッサージのおかげで走りきれたと思います。


そして最後のご褒美とも言える14km。樹海を見下ろす紅葉台。

脚はもう動かない状態でしたが、スタッフの人たちとオールスポーツの皆さんに励まされました(特にラストの坂を逆走して登ってきてくれたオールスポーツの皆さん、ありがとうございました!)。
そして、五湖台から見えた、待ちに待った河口湖!

五湖台からの下りでゴールのあるノースフェイスのテントが見えた瞬間!

徐々に近づくゴールの足音。これまでとにかく早く終わりたいとしか思わなかった156kmが終わりをむかえようとしていました。


そして、この看板。

あとちょっと!と思うと同時に、「あと1時間はかかるな・・・」と思った看板。正直気力が萎えました。
それでも河口湖畔の風に吹かれ、気持ち良くも、必死に涙をこらえて迎えたラスト3km。

疲労も気力もピークとなり、もう止まりたい、としか思えなくなり、ラスト2kmの表示が出たら写真を撮るついでに少し休もう・・・、とにかく逃げ腰になっていました。


しかし、いくら歩いても残り2kmの表示が無い・・・。


道は合っているはずなのに、これまでの状況から見て15分も歩けば1kmは進むはずなのに・・・。無い・・・。沿道からは「あと2km切ってるよ!」との声が飛んでる・・・。これは、表示を見逃したな・・・(笑)。


これで吹っ切れました。


最後くらい行けるところまで走ろう!ここまで歩いてきたんだから、最後くらい走って終わろう!
そんな気持ちで少し走り始めました。最初はゆっくりと。
思えば途中で何度もやめようと思ったし、何度もダメだと思った。この脚じゃ無理だとも思ったし、歩いていたら着かないと思った。前の人が崖から危うく落ちそうになったし、岩から滑ったこともあった。それでもなんとか自分はまもなく無事にゴールできる。ゴールに着くことができないと何度も何度も思ったのに。
そんなことが頭をとにかく巡って、走りながら号泣してしまった(ま、いつものことです)。
沿道の人にストックを何度も振り上げて、ハイタッチして、数キロ前までの自分が嘘のようにスピードが上がる。最後の1km、本当に気持ち良かったです。これまでの155kmがこのラスト1kmのためにあったかのよう。足首の痛みなんか忘れて、股ずれなんか気にならずに、アナウンスの中でゴールへ。

空を見上げながら、ゴールゲートをくぐり、福田六花先生と抱き合いカッコよく歓喜を分かち合うはずが・・・。出た言葉は「着かないと思ったー」。・・・。もうちょっと良い言葉あるだろうに(笑)。そして世界の三浦雄一郎さんとも握手をし出た言葉は「着かないと思ったー」。もうそれしか言葉にならない。他に何を言ったか覚えてません・・・。本当に生きてゴールできて良かったと・・・。
そして鏑木さんは休憩中だったか、いませんでした。残念。


ゴールタイム45時間11分59秒。うーん、長かったなー。


そしてゴールしてみて思うこと。
正直100マイルをなめてました。累積標高差8530mといっても、おんたけと奥久慈を足したくらいだろう、と。うーん、全然やばかった。ちょっとやそっとの準備じゃどうにもできない壁を感じました。今回は天気も良かったし、序盤で歩かざるを得なくなって逆にペースが一定になってうまく完走出来ただけ。とにかく運が良かった。
骨折明けだとか、時期が5月だとか、仕事とか、言い訳はたくさん出来るけれど、そんなんじゃない力をつけないと、と本気で思いました。骨折前のレベルにはまだまだ追いついていないし、今後追いつけるかも分からないのですが、また少しずつレベルを上げていきたいと思います。
来年のUTMF、鏑木さんから完走ベストをもらえるように、また走りたいと思っています。


では、次回のブログ「UTMF(スタッフ&応援の皆さんありがとう編)」に続く・・・。