歴史教科書の位置づけ

最近歴史教科書問題がまた出てきた。従軍慰安婦って言葉を減らすとか、そもそもその言葉はなかったとか。
教科書の検定制度自体に問題があるとは思わないけれど、歴史の教科書に政治問題が絡むのは戦前も戦後も同じだなと思う。
そもそも教科書の記述自体でどれだけの子供が将来偏見を持った大人になる可能性があるのか分からないし、そんな記述を削除したところで何が変わるのかと思う。
今の高齢世代(祖父母とか世代)は戦前の修身とか歴史教育の影響を少なからず受けているし、自分たちは偏差値的な教育の影響を受けていることは事実。
実際にそういう時代によって異なる教育があって、異なる考えを持った多くの人に触れ合うことで、人として育っていくんだと思う。
歴史は改変されるってよく言うけれど、そもそも歴史の中でどういう事実があったのかを私たちが正確に知り得ることは困難を極めるし、いろんな立場の人の主観が入り込む限り、異なる歴史が形成されていくことは仕方ないことのように思える。
自分としては、教科書問題をこれほど大きく扱わなければならないほど、学校や地域が教科書に頼り切っているということを露呈した出来事だと思っている。
以前にも書いたような気がするけれど、もっと学校や教師に教える裁量を与えてもいいと思う。それはそれで教師の負担は大きくなるのかもしれないけれど、それだけのことをしなければならない価値のある職業だと思う。
子供のゆとり教育とか脱却とか議論の余地はあるけれど、もっと教師に対してもゆとりのある運用をしてもいいのではないか、そう思う。
ちょっと話が逸れてしまったけれど、もっと地域によって違う歴史を教えていいような気がする。そんな戦争時代の言葉の記述で事実を隠すよりは、自分の暮らしている地域の歴史を教えたほうが将来的には有益だと思う。
自分の暮らす土地の歴史を知っているなんて素敵なことじゃないか。たくさんの人が集まって暮らしていく中で多くの歴史に触れていけたり、立場の違いが歴史の違いにもなることを確認しあえたり、そんなことがもっと世界に広まったらいいのに、と思う。
なんか大きな話になりました。