先が見えることが嫌だった

ふと思い出した。
自分は先が見えることがたまらなく嫌だった。
未来を夢見ることが好きだったんだろうか。
高校に入学したとき、受験の選択で史学専攻をやめたとき、卒論で指導教官から先が見えてきたじゃないかと言われたとき、何かしら胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
きっと未来を夢見ることは好きではなかったんだ。先が見えることよりも、自分でその先を決めることが嫌だったのかもしれない。
人に先を見せられることはもっと嫌だったのかもしれない。
今までは可能性を決めつけられることから反発するだけだった。
けれど先が見えるときは自分の中でカギを掴みかけているときのような気がする。
上を向いて歩こう