知床の旅:ちょっと思ったこと

知床に行っていろいろ考えたことがありました。
忘れないうちに書いておこうかと思います。



第一に、この知床に来る人たち(自分たちも含む)の多様さについて身を持って知ることができました。
知床が世界自然遺産に登録されてから数年経っているけど、どれだけの人が、なぜ知床が世界自然遺産に登録されたか、本当に知っているのかどうか。
知床の自然は確かにすごいし、圧倒される部分がある。原生林はその強さを私たちに知らしめてくれるし、動物の生きる証は、人のすぐ近くに存在しているし。
しかし知床が遺産に登録されている理由は自然美ではなくて、その生態系の多様さと海と陸との複合生態系の貴重さだったはず。


だけど、知床に来ている観光客のほとんどは(少なくとも私たちがいた間に見た限りでは)、観光船に乗って、知床一湖を見て知床峠に行って帰っているような印象を受ける。
確かに観光客は増えたかもしれないけど、本当にそれで知床の人は満足なのかな。
世界遺産登録を目指したのは観光のためではなくて、環境保全のためだったんだろうけど、持続的な観光産業を目指すのならば、もっとリピーターを作る努力をすべきだろうなと思う。けれどそれはどちらかというとツアーを企画する側の問題かな。


私たちはガイドさんに頼んで(お金を払ってってこと)説明を受けたり案内をしてもらったけど、そういう人って少数派なんだなというのが分かった。
ガイドをするほうとしても悩みはあるみたいだし、世界遺産になってからの変容を感じ取っている部分もあるようだ。これは知床が国立公園としての歴史を持っていて、観光ルートが確立されているからこその悩みであって、白神山地にはない悩みなのかもしれないけれど。


大人数のツアーのガイドをしている人も、一対多数で大変だとは思う。本当に知床五湖に入った人の全員が水とお茶しか入っていないのか、シカに蹴られたらどうなるのか分かっているのか、そういったことが守られていない、守りきれないのなら、入山規制とか検討する必要もあるだろうと思う。
もちろん現場ではそういった議論は一回は出ただろうなとは思うし、人としての生活環境を守る必要もあるだろうし。難しいな。
季節によって全く性格の変わる知床だから、うまくできればいいなという思いです。



第二に、危険に相対するって何だろうということ。
早朝のツアーに参加したとき、ガイドさんがヒグマが来ないように声を張り上げる一幕があった。
危険に相対することは頭では分かっていることだけれど、実際にそういう場面に遭遇した場合、自分はどうできるかなとやっぱり思ってしまう。
自分には根本的な危機感が欠如しているのかもしれない。


危険の芽があれば、それに近づかないということは当然のことだと思う。
だが、危険に対してその対処が分かっていれば、芽は芽のままで終わることもまた事実だと思う。


危険と共存することは可能か否か。


危険が表面化していることの理由や、取り除くことによって何かしらの不都合が出ることもあるのかもしれないなとも感じた。
表面上の言葉だけではなく、危険と共存する覚悟も必要だなと少し思った一幕でした。



第三に、自分がこれから何をしたいか、そういうことのきっかけをつかめたように思っています。
自分なりにこれから進むべき道を自信を持って歩くためにも、いろいろな自然を見て、いろいろなことを感じて、経験をしたいと思います。
自分は自然の中で人として関われる部分を見極めたい、そしてその部分において、多くの人に自然を届けられるように頑張りたいと思います。




最後に、今回の知床旅行が快晴でなくて良かったと、雨で良かったと心から思っています。


次は晴れたときに五湖まで行く、という理由ができたので。


正月はもしかして10連休くらいあるかもしれないので、知床を含めてちょっと考えておこうかなと思います。