島人ぬ宝

2日から4日まで、組合関係の研修で沖縄に行ってきました。初めての沖縄でして「これは旅行じゃなく研修だ!」と口癖のように言ってましたが、半々でしたね・・・。楽しむところは楽しむ!ということで、無事に帰ってきました。


沖縄といってもたったの3日間ですし、しかも秋田からの移動でかなりの時間を費やしてるので、実質1日半くらいしか滞在してません。初日の夕方前に着いて3日目の昼には那覇空港から発ってきました。おかげでスケジュールはギチギチ。まあ仕方ないですね。


今回の沖縄で一番強く感じたのは、何に変えても守りたいものや守らなければならないことは確かに存在するが、それを実際に守れるかどうかは個人の判断ではなく、集団の論理によって決まることが多いだろうということです。
かなり回りくどい言い方をしましたが、命を失うことを目の前にして、生きることよりも死を選んだ人や、そもそも生きるという選択肢すら許されなかった人がいた時代や場所があったということです。


自分は空虚な正義やナショナリズム的な全体主義が好きではないのですが、戦争に関して言えば、本当に関わりたくないと思っています。自衛隊の海外派遣について、日米同盟が理由だろうが国連決議が理由だろうが勘弁してくれよ、と。なんか民主党の代表?元代表?の小沢さんが大連立を考えた理由としてそういうことを挙げていたけど、どちらにしても自衛隊を海外派遣していく流れはきっと変わらないんだろう、どこで歯止めをかけるかという議論になっても結局は言葉尻をいじくった憲法解釈に終始するんだろう、と思います。小沢という人材は捨てがたいのかもしれないけれど、ここで国連決議に基づく海外派兵を認めたら、憲法外の派兵を認めるわけだから9条改正ありきの憲法論議はなくなるだろうし、そうしたら現行の憲法は残るだろうけど9条自体は形骸化するのは確実。
憲法9条を残そうと頑張っているグループからしてみれば、9条は残ったからある意味目的達成だけど全く無意味となりそう。ここまでくると平和ってどういうことだろうなと思う。もし海外派兵している最中に攻撃を受けたら自衛隊は交戦することになるのか(いずれにせよ集団的自衛権の行使でアメリカが交戦するだろうけれど)、もはや平和憲法なんて形骸化しているようなものだよなと、そんなことを沖縄から帰ってきて考えました。


沖縄の地上戦では一般の民衆まで巻き添えになっているし、一般民衆なのか日本軍なのか米軍なのか分からないような遺骨が残されているのも事実。教科書問題にしても言葉を文章にして残すということで問題になっているけれど、いっそのこと義務教育中に必ず沖縄に行くことを全生徒に義務付けたらどうかと思いますが(無論硫黄島とか尖閣諸島とかでもいいとは思うが沖縄本島が一番障害が少ないと思う)。
ひめゆりの記念館に行って何も感じない人がいるとは思えないし、光すら入らないガマ(壕)で60年以上前の現実を見たら確実に感じることがあると思う。
『修学旅行、日本全国の学校が沖縄へ』
ついでに美ら海水族館ジンベイザメとかマンタを見て、ビーチで大喜びしてくれば修学旅行っぽいんじゃないでしょうか?そして最後はBEGINの歌を歌って帰ってくればいいと思う。
♪教科書に書いてあることだけじゃ分からない〜


本当にそのとおり。教科書に書いてあることだけでなく、そして教科書に書いてあることから想像できることだけでもなく、今の生活からは想像もできない実際に起こった過去の事実と現実とのギャップを体感すること、それが大事なんだと思います。
沖縄は戦争以前からも簡単な歴史ではなかったのは確かですし、久しぶりに自分の日本史の記憶を紐解けた感じがします。


ま、それでも楽しかった沖縄。めんそーれ。
ほうき笛のお兄さんとセッション。


あしたのジョーだ!(注:酔い潰れてるわけではない)


首里城守礼門5000円札2000円札


オラ、シーサーさ〜。


楽しんでしかいないような写真ばかりですが、真面目に行ってきました。今回は食べ物の写真がまったくもって撮ってなかったのが意外でしたが、海ぶどうと島らっきょうは美味でしたよ。オリオンビールサッポロビールと似てたかな?けどサッポロよりは癖がない感じです。
次は観光メインで行きたいですね。